「アイドリッシュセブンはリアル」には2つの意味がある

はじめに

初めまして。しょこらあいすと申します。

記事等を書くのは初めてなので、読みにくかったり変なことを書いていたりしたらすみません。

 

それから、この記事に限った(限らないかもしれない)注意点。

主観が入りまくっているにも関わらず、主語が大きくなりがちなので、そこら辺はご容赦ください。

 

 

さて、ここで私が語りたいのは、タイトル通り、

アイドリッシュセブン』はリアルである、という声には2つの意味がある

ということです。

(※後に「IDOLiSH7」の表記も出てきますが、コンテンツ全体を指す時はカタカナ、その中に登場する1グループを指す時はアルファベットで表記します)

具体的にどんな意味があるのかというと、

  1. 2次元アイドルコンテンツにもかかわらず、3次元アイドルのような展開をしている
  2. ストーリー内において、キャラクターの心の動きやそれによる行動が現実的である

この2つ。

マネージャー(作品ファン)の反応や関係者のインタビュー記事などから私が感じ取り、私自身も思ったことです。

同じ「リアル」という単語でも、少し違いがあるよね、と。

以下、それぞれについてもう少し詳しく話をしようと思います。

 

1.2次元アイドルコンテンツにもかかわらず、3次元アイドルのような展開をしている

これは、マネージャーの皆さんも実感していると思います。

新規ビジュアルが公開された時には「描き下ろし」ではなく「撮り下ろし」「撮影」と表現し、3次元の人間をカメラを使って撮影したかのような公開の仕方をしています。

例えば、公式アカウントからのツイート。

 

 

「撮り下ろし」の表現はもちろん、オフショットまで公開してくれています。

オフショットって、カメラで写真を撮って、色味の加工やモザイクをしてすぐに出来上がり!とはいきませんよね。

普通に絵を描くのと同じ工程で、同じくらいの時間をかけて、オフショットを作ってくれているのだと思います。

(そもそも、公式アカウントの名前を“大神万理”としている時点で手が込んでいる……)

 

また、リプトンやヤマト運輸、KOSÉなど、これまでにアイドリッシュセブンは多数の企業とコラボをしたりアンバサダーに就任したりしてきました。

直近で言えば、亀田製菓

七瀬陸が単独でアンバサダーに就任し、地上波で60秒の長尺CMが放送されました。

しかも20時〜21時というゴールデンタイム。

 

ダメだ、可愛すぎる。

マネージャーがこぞって待機し、そうでない人もこのCMを見て七瀬陸やアイナナが気になり始めるのも頷けます。これが七瀬陸の訴求力か。

コラボ先の企業も3次元アイドルかのようにアイドルたちを紹介しているので、余計にリアル感が増します。

 

更に言えば、ムビナナの舞台演出も、お金と技術を頑張ればなんとか現実でもできるかもしれないくらいのギリギリのライン。

2次元はオーバーにした方が映えますが、3次元を意識しつつ、2次元特有のオーバーさも加えています。

衣装も実際に作ったらどうなるか(ステージ上でどう見えてどう動くか)を考えて映像を作ったそうです。

 

こうした、2次元として破綻しないレベルで3次元を追求した表現や展開から、アイドリッシュセブン次元が分からなくなる、境界がいい意味で曖昧すぎるという意味で「リアル」と言われているのだと思います。

 

 

2.ストーリー内において、キャラクターの心の動きやそれによる行動が現実的である

今度はストーリーの話。

アイナナは、「しんどい」と言われる展開が多いです。

その理由の1つが、この「情動や行動のリアルさ」なのではないでしょうか。

 

基本的に、お話というのは起承転結があって、山あり谷ありの展開だから物語として成り立ちます。

その転の部分で谷底に落ちるような作品も少なくありません。何かしら辛い要素がないと、主人公たちが輝いて見えませんから。

それでも最後には克服したり覚醒したりして、それを乗り越えるわけです。

 

でも、アイナナは少し違う。

もちろん、最終的に困難を乗り越えることに変わりはありません。

しかし、何気ない言葉にこそ深いダメージを負ったり、それが忘れられなくて長い間引きずったり、完全に克服することができずにある意味諦めたりする、という現象が度々起こるのがアイナナです。

 

例えば、原作ゲームメインストーリー第2部の、和泉三月が街中でファンの会話を盗み聞きするシーン。

続いて出てきた言葉がなんともまあ、アレでしたよね。

その言葉に三月は傷つき、自信を失ってしまいます。うーん、何度見てもしんどい。

そこから時を経て結局立ち直った三月ですが、第3部で月雲了に悪意たっぷりに同じことを言われ、傷ついた顔をしました。

完全に克服したわけじゃなくて、心の中にしっかりと傷跡が残っている。そこに刃を立てられ、それでも自分を必要とする人がいる限り自分はこのままやっていくのだと、三月は彼に語ります。

傷ついて、立ち直って、それでもまだその傷は傷跡として存在し続けている。

私たちだってそうですよね。完璧に克服できることなんてそうそうありません。

これも、リアルと言われる理由の1つでしょう。

 

それからもう1つ。

人間って、楽な方に流れちゃいたいものですよね。楽な道があるんだったら、そっちを選びたくなりますよね。

アイナナには、そんな「楽な道を選んだ人」も出てきます。ŹOOĻです。それに加えて、月雲了もかな。

自分たちが上がっていくのではなくて、他人を落とし相対的に自分たちを上げる。良くない手法ですが、こっちの方が圧倒的に楽なんだもの、仕方ない。

だから登場時、マネージャーの彼らに対する評価は最悪でした。もちろんこの段階から彼らを好きというマネージャーもいましたが、この5人は多くのマネージャーにとって明確な「敵」でした。今でも嫌い、許せないというマネージャーもいるくらいに。

それでも紆余曲折あって、ŹOOĻは罪悪感を覚え、贖罪しようと決意しますし、月雲了も改心します。

ŹOOĻや月雲了のような、「一歩間違えてしまった人」「楽をしてしまった人」も描いてくれるのがアイドリッシュセブンです。

その上で、楽をしちゃダメだよとしっかり教えてくれるんですよね。

 

 

おわりに

アイナナはリアル。なぜって、次元の境目が分からない展開の仕方と筋の通った心理描写をしているから。

リアルすぎてしんどいけれど、リアルすぎるから嬉しい。それがアイナナの魅力だと思っています。

 

最後に、ここまで書いてきたものは全て私の考えです。主語デカ文にも私の偏見が入っています。

だから、アイナナ界隈全体がこう思っている・感じているとは思わないでいただきたいです。

でも、こういった視点でこれからのアイナナを楽しむのもいいと思います。

……終わり方が分からん。ので、これにて解散ッ!